子どもがAIに尋ねる、その手前で
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子どもが宿題や調べ物でAIを使っている様子を、横からそっと見ていると、
ずいぶん器用に使いこなしているように見えます。
知りたいことを打ち込めば、すぐにそれらしい答えが返ってくる。
便利になったものだと感心する一方で、少し気にかかることがありました。
よく見ていると、子ども自身が何を知りたいのかがはっきりしないまま、
出てきた答えだけを受け取っている場面が少なくないのです。
AIを使う人を何人か観察していて、だんだん分かってきたことがあります。
曖昧な聞き方をすると、返ってくる答えもやはり曖昧なのです。
逆に、問いがくっきりしているときには、驚くほど的確な答えが返ってくる。
同じ道具を使っていても、出てくるものの質はずいぶん違う。
その差を生んでいるのは、道具の性能ではなく、使う人がどれだけ自分の問いをはっきりさせられているか、でした。
ここには二つの力が関わっているように思います。
一つは、問題を見つける力です。
AIのおかげでできることは増えました。
けれど、自分が何に困っているのか、何を知りたいのかが見えていないと、
できることが増えても、それを何に生かせばいいのか分からないままです。
もう一つは、言語化する力です。
自分の思いが曖昧なままだと、言葉にしても曖昧にしかならず、返ってくるものも曖昧になる。
この二つは、別々のものではなく地続きだと感じます。
いい問いを立てられる人は、その手前で「自分は本当は何に困っているのか」を、自分の言葉でちゃんと掴んでいます。
問いの質が、答えの質を決める。
これはAIに限った話ではなく、人に相談するときも、自分で考えるときも、同じことなのかもしれません。
では家庭で何ができるか。
一つは、子どもが何か聞いてきたとき、すぐに答えを与えるのではなく、問いを返してみることです。
「あなたは何が一番気になっているの」「どこで引っかかっているの」と。
答えそのものより、その手前で自分の言葉に直す時間が、問いを立てる力を育てていくように思います。
もう一つは、子どもが自分の言葉で考えを話せる雑談の時間を、少しだけ持つことです。
うまくまとまっていなくても、口に出してみるうちに、自分が本当は何を思っていたのかが見えてくることがあります。
その積み重ねが、言語化の力になっていきます。
とはいえ、これを毎回きちんとやろうとすると、親のほうが疲れてしまいます。
忙しい日は答えを教えてしまってもいいし、雑談ができない日があってもかまいません。
無理にやらなくていい、というくらいの気持ちで、できるときに少しだけ意識してみる。それで十分なのだと思います。